大江戸たくどら日記~東京タクシードライバーのブログ~

大江戸たくどら日記~東京タクシードライバーのブログ~

東京の某中堅タクシー会社に50代で転職した仕事を楽しんでる側=タクシー向きドライバーのブログ。

【雑感ノート】父の葬儀で思ったこと。

【つぶやき+】いやいや、ちょっとカッコ良く編集しすぎたかなー^^;

【つぶやき+】やはり書かねば。すっきり次に進まないので書いとこう。

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東京タクシードライバーの雑感。とくにタクシーでの話題にしばられず、書いておきたいもろもろをダラダラと。

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(はじめての方はこちらもご覧ください)

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ブログの性格なども考えて、書く手がとまっていたが、

自分の父親の最期や葬儀のいろいろは、まさに「ヘェ~」だったわけで、そこを通り過ぎて書かずに、タクシーの「ヘェ~」を書くのも腑に落ちないし、

 

、、、ということで、

 

プロガーらしく父の最期で思ったことを書くことにした。

親父はいわゆる食道楽の人だったから、最期「胃ろう」でチューブを入れる時はけっこう抵抗もしたらしいが、それ以降、最期の数ヶ月はなかなかの好々爺になっていた。

 

普段、よくタクシーで大学病院からのリハビリのお客さんとも話す機会はあるが、人間、やりたいことがあるから、何年もかけて車椅子から立ち上がったりもするようで、

 

先日のお客さんも、何年も立ち上がれなかったし、手のひらを開けなかったけど今は立ち上がり、手のひらも開けるがうまく閉じられないというところまで来た、もう一度スキーをやりたいんだ、と言ってた。

 

で、うちの親父だが、食道楽が食べられなくなって、ポツリと「もう、キリがないよ」と言ったセリフは無理もない。

 

若い頃はずいぶん油ギッシュな感じの人だったが、フェードアウトな感じの最期で、頭はしっかりしていて、レベルの高い冗談にはニヤリと笑うものの、ほとんど喋らなくなり、存在感は薄くなっていた。

 

臨終は、苦しまず、痛がらず、糖尿が悪化して痛さを感じない最期だったらしい。浄土へ行っただろうというイメージで、安堵感があり、こういう死は悪くないな、と。

 

わたし大江戸は若い頃は何かと反発し、いろいろ衝突もしたが、近年は素を出して実直に話せる仲にもなり、素直に教えを請うこともあり、少しは理解し合えてあまり後悔はない、、、それもタクシードライバーの明け番や公休日に顔を見に行けたおかげか、と思っている。

 

色んなシーンを懐かしく思い出しもした。

 

やはり人間はセリフが大事だ。 

 

「自分の人生だから、自分が思ったとおりにやる。自分が考えたことが一番正しい。人はいろんな意見を言う。お前は頭で考え過ぎ。思ったとおりにならない。ぶつかってまた考える。やりたきゃやる。やりたくなきゃやらない。やならきゃいけないことはやらなきゃいけないが、あまり余計なことは考えなくていい、、、」

 

などといわれたことがある。

 

そんな昔の言葉を遺言のように記憶している自分の中に、同じ血が流れているのを感じた。

 

あと、よく八代亜紀を聞いていたっけ。その点、缶コーヒーのあのMr.ジョーンズと同じ種族であり、共感できる。

 

 

また「人に歴史あり」で、頑固な反面、あるとき何かのあつまりで「え~、では『オールド・ブラック・ジョー』をやります」などと照れながら挨拶して、吹いたハーモニカがけっこう上手くて、聞いたことがある古いアメリカ南部の歌のようで、ヘェ〜と思ったのを思い出したり、、、

 

そんなような思い出したことや、考えてることやら、子供たちからのお別れのメッセージなどを入れた封筒を棺おけに入れて燃してもらった。

 

浄土で「ふーん、お前ってそんなやつだったのか、ヘェ〜〜~」と思ったのかもしれない。

 

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で、今更だが、、、

「うちは浄土真宗だったのか」と知り、浄土真宗についてググってみると、なかなか面白く、

 

お経をあげた坊さんにも聞いたら、浄土真宗は死んだ瞬間すぐ浄土行きという教えで、冥土への旅もしないし、そこらを霊魂として漂ったりもしない。即効成仏 d( ̄  ̄)

 

ググッたWikipediaを読むと、開祖親鸞の教えは「悪人正機説」とある。

 

本尊の阿弥陀如来の目で見れば、人間は皆「悪人」であり、例外はなく、悪人も皆んな浄土へ行く、細かいことは気にしない、というめでたい教えだった。

 

それと「他力本願」。

 

自力でバリバリ頑張るのは悪いことじゃないが、そういう人は阿弥陀仏を心では信じていないからこそ自力なのであって、つまり疲れるわけで、阿弥陀様に心底頼れば(これが他力)すべてはOK牧場 _φ( ̄ー ̄ )、

 

というシンプルな教義で、、、仏教カンケーの方、曲解してたらすんません。

 

また浄土真宗は行(修行、苦行)を禁じていて、ただ 「南元阿弥陀仏」と唱えればそれで良い、それで悪人も皆んな浄土へ行くから大丈夫という。

 

油ギッシュな食道楽親父にも、自由を好むわたし大江戸にも、じつに都合が良いな、と。

 

そんなことを思った葬儀でしたね。

 

PS

本日息子は初の高校受験の様。天気は上々。

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♫勝手にエンディング曲m(__)m

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by 大江戸巧氏(おおえどたくし)

 

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